コレクション展 令和5年度収蔵品
作品解説
・秋岡美帆 ・吉岡堅二 ・片山真理 ・合田佐和子 ・淺井祐介 ・林勇気 ・大竹伸朗 ・袴田京太郎
秋岡美帆(1954~2018)
《ゆれるかげ-2 1992.12.25》1992年
足元に広がる楠の樹影を、カメラを動かしながら捉えた版画作品です。画面は黒と赤みがかった白に占められていて、一見して樹影とはわかりません。意図的にピントを外すことで、抽象度が高まり、スローシャッターによる長時間露光で、光と影の揺らぎが画面に記録されます。秋岡はそのようにして撮影した写真をNECOプリントという技術で、大型の版画として仕上げました。
大きな作品ながら、麻紙に刷られた抽象的なイメージは、どこか軽やかな印象です。本展では、その軽やかさを損ねないよう、作品を壁面にピンで直接固定するという、生前に秋岡が展示した手法と同じ方法で展示しています。
吉岡堅二(1906~1990)
《烏骨鶏》1957年
銀泥で着彩した地に、尾を垂直に伸ばしながら、二本の脚で力強く立つ烏骨鶏が描かれています。首元、折りたたまれた羽、尾羽の部分は、筆跡を残すように白く塗られており、かすれた線と岩絵具の粒子によって、ざらついた絵肌がつくられています。黒や赤の輪郭線で描かれた体は、細部の描写が省略され、特に尾羽の部分は複数の平面を重ね合わせたようです。細い線による描写が主流であった従来の日本画とは一線を画す、荒い筆致と造形的な描写が特徴といえるでしょう。本作に見られるような描写は、吉岡がキュビスムなど、同時代の西洋美術の動きに注目し、研究を重ねていた影響と考えられています。
片山真理(1987~ )
《just one of those things #002》2021年
本作は、フィルムプリント写真で撮影したセルフポートレイトを基盤に、手などの彼女の身体の一部や、布や貝殻などのオブジェをパーツ化して、デジタル画面で構成したアナログとデジタルが融合した作品です。
義足など体にハンディを持つ片山ですが、そのハンディの有無が主題ではなく、自分と他者、個人と社会といったものの対比を鑑賞者に問いかけるために、セルフポートレイトを撮影しています。
片山は、「ハイヒール・プロジェクト」という名称で「選択の自由」を目標に掲げたプロジェクトを進行しています。本作はそのために制作されたもので、「かかとを3回打ち鳴らすと世界中のどこへでもあっという間に連れて行ってくれる」という『オズの魔法使い』の主人公ドロシーが履いた魔法の銀の靴の物語にちなんでいます。
ハイヒールを履いて闊歩することへの強いこだわりをもつ作家の挑戦や意思の強さがあふれています。
合田佐和子(1940~2016)
《フランケンシュタイン博士のモンスター》1974年
映画「フランケンシュタイン」(1931)のスチル写真を基に俳優のボリス・カーロフが演じた怪物を描いた作品です。既存の写真に基づく絵画という点では、《ベロニカ・レイク》と共通しています。しかし、両者を比較すると、《ベロニカ・レイク》が映画の場面写真ほぼそのままに描かれたのに対して、本作は複数のイメージの組み合わせによって制作されています。
中心となる怪物は、写真からの引用ですが、楕円形の窓と、窓を取り巻く木や卵をついばむ鳥は、また別のイメージから再構成されています。再構成するという要素は、既存のイメージや物品を組み合わせて絵画やオブジェの制作をつづけた合田の造形上の工夫として重要です。また、合田はフリークス(異形のもの)を好み、70年代初期のモチーフとして取り上げていますが、本作は、フリークスと銀幕のイメージという合田の感心が交差している点でも興味深い作例です。
淺井裕介(1981~ )
《生きている自然》2016年
鹿のような生き物の顔、密集した円形、植物の蔓のような形が、縦5メートルの大画面に密に描かれています。本作は、当館の前身である富山県立近代美術館のクロージング企画展の際に、富山に滞在した淺井が、地元のボランティアと一緒に公開制作を行った作品です。美術館の敷地で採取した土をはじめ、富山市内ほか、青森、熊本、インド、テキサス州ヒューストンで集めた土で描かれています。
淺井は、旅のチケットやコースターなどに描く、小さなドローイングから、室内を覆いつくす巨大な壁画まで、土や水、ペンなど身近な素材を用い、様々な場所で、奔放に絵を描いてきました。土と水を用いてプリミティヴな世界観を表現した本作は、淺井の特徴的なスタイルが全面的にあらわれた作品といえるでしょう。
林勇気(1976~ )
《another world -vanishing point》2022年
無数の切り抜かれたカラフルな画像が、うねるような音とともに、まるで宇宙空間のような無限の奥行の中を漂っていきます。その様子は、私たちが日々、膨大な情報が蓄積され、共有され、消費されていく不可視のデジタル世界、「もうひとつの世界」に取り囲まれていることを体感的に思い起こさせます。林は、デジタルメディアやインターネットを介した、現代的なコミュニケーションや記憶のあり方をテーマに映像作品を発表してきました。本作は2022年に当館で開催された展覧会「デザインスコープ」展に出品されたものです。開催当時はプロジェクターで投影した作品を、本展では二台のモニターで展示します。展示手法を自在に変化させることができるという点も、映像というメディアの特性を表しているように思えます。
大竹伸朗(1955~ )
《《男》のスケッチ1》1975年
《《男》のスケッチ2》1975年
当館所蔵の大竹による立体作品《男》(1974-75)は制作当時、大竹が憧れと関心を強く抱いていたミュージシャンのボブ・ディランをモデルとしています。本作はその制作にあたり、細部の構造や形態を検討するために描いたスケッチです。
《《男》のスケッチ1》の画面の左上では、下半身の骨組みについて検討したことがうかがえ、右半分では、ボブ・ディランの高い鼻筋をいかにして造形し、取り付けるかを検討したことをうかがうことができます。《《男》のスケッチ2》では、完成当初には付属していたものの、当館への収蔵時には失われていたサングラスを取り付けた際の造形を検討したことが見て取ることができるなど、作品の構造や構想の推移を知ることのできる作品です。
袴田京太朗(1963~ )
《本保裸婦像―複製》2024年
青と白のアクリル板積層による等身大の裸婦像です。強いストライプに目が幻惑されますが、やや大きめの頭部は日本髪を結い、肩も撫で肩で恥じらうように腰に布をまとっています。およそ西洋彫刻の堂々とした裸婦像とは趣きが異なります。
作者の袴田京太朗は、近代彫刻への疑問や違和感から出発し、現代における「彫刻」の可能性を追求してきた作家です。本作は、袴田が、当館が所蔵する明治初期の小さな彫刻、本保義太郎作《裸婦像》(1896年頃)を3D計測し、そのデータをもとに拡大「複製」したものです。令和4年の当館での滞在制作をきっかけに制作されました。※注.
本保は明治の初め富山県高岡の仏師の家系に生まれ、開校間もない東京美術学校で学びました。その日本髪を結った裸婦像の、どこか控え目な初々しい感じは、西洋の「彫刻」に日本人が初めて出合って苦闘した、明治期日本の若々しい時代の興趣を伝えています。
本作の不思議な感じは、100年の時を経て、「現代」の彫刻家が「近代」の「彫刻」と対話して生まれたものなのです。
※注.滞在制作では、スタイロフォーム(青)と発砲スチロール(白)積層による高さ約4mの像が制作された。本作はその後、作家の代表的な手法であるアクリル板積層により制作された。