20 世紀の多様な表現
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《マンジの肖像》
身なりの良い男性の姿が、真横から描かれています。体や顔の輪郭が際立ち、ふくよかな体型がよくわかります。油絵の具は薄く塗られ、背景には木の下地が見えているので、未完成のようです。短時間で描かれたようですが、男の特徴はよく捉えられており、画家の技量の確かさを示しています。描かれているのは、編集者・画商であったミシェル・マンジという人物です。作者のロートレックは、世紀末のパリの風俗を描いたことで知られています。
ワシリー・カンディンスキー《コンポジション》
幾何学的な形態が、画面の中央に円形に配置されているタピスリー(織物)です。この作品は、抽象絵画の創始者とも考えられるカンディンスキーが描いた作品に基づくもので、画家の遺言執行人と画家の妻の発案により、タピスリーの織匠イヴェット・コキール=プランスが制作しました。タピスリーは、ヨーロッパでは生活に根差した装飾、実用品であり、ピカソやシャガールなどの 20 世紀の芸術家たちも数多く制作しています。
パブロ・ピカソ《肘かけ椅子の女》
ピカソは実験的な作品がよく知られていますが、1915 年頃からの約 10 年間は写実的な作品を描きました。このころは、ピカソの「新古典主義の時代」と呼ばれます。椅子に座る女性の姿は、グレーの色調で描かれており、体や衣服の立体感が明瞭に表されています。ピカソは、親しい関係にあった女性の座像を数多く描いていますが、本作のモデルについては特定されていません。
ルネ・マグリット《真実の井戸》
腿のあたりから下の片足だけが路上に立っています。絵の題名は、古代ギリシアの哲学者の言葉(「真実は井戸の底にある」)を思わせますが、絵の内容との関連性は不明です。作者のマグリットは、シュルレアリスム運動 (※)に加わり、不条理な世界を、意表を突く表現で描きました。あるものを本来の文脈とは異なる場所に置き、違和感を生じさせる手法「デペイズマン」を多用しました。 (※)シュルレアリスム…意識によって捉えられる現実世界を超えたものを追求する芸術運動。
ジャクスン・ポロック《無題》
黄色い下地に、赤、青、グレーなどの絵の具が塗られ、その上から黒いエナメル塗料の線が、網のように画面を覆います。一見、無秩序のように見えますが、エナメル塗料は画面から大きくはみ出すことはなく、画面構成が意識されていることがうかがえます。作者のポロックは、抽象表現主義という動向を代表する画家で、床に広げたキャンバスに、絵の具を垂らす「ポーリング」等と呼ばれる技法を用いて抽象絵画に新境地を開きました。本作からはその初期の試行錯誤が伺えます。
ロバート・ラウシェンバーグ《ボーリアリス・シェアーズⅠ》
真鍮とポリカーボネート(プラスチックの一種)で作られた椅子に、緑青による彩色が施され、さらに写真画像がシルクスクリーンの技法で刷られています。作品名の「ボーリアリス」は、作者がスウェーデン旅行中に見たオーロラを意味し、様々な色に変わる金属の化学変化をオーロラの輝きになぞらえています。ラウシェンバーグは、様々な素材を組み合わせた絵画や彫刻作品を制作し、その作風は「ネオ・ダダ」とも呼ばれました。
ジャン・フォートリエ《シーソーのシステム》
画面の中央に、白い絵の具が厚く塗られ、その上に弧を描くように紫色の線描が引かれています。フォートリエは、戦後のフランスで活躍した画家であり、特に「アンフォルメル」という抽象絵画の動向を代表する画家として高く評価されました。絵の具を厚塗りし、その上から規則的に線を引いたり、引っかいたり、色を重ねるという制作方法は、平面上に何か別の存在を出現させようと実験をしているかのようでもあります。
ジャスパー・ジョーンズ《消失Ⅱ》
正方形の画面の上に、同じく正方形を 45 度傾けた形が現れています。このひし形は、正方形のキャンバスの四隅を真ん中に織り込んで表されたものです。ジョーンズは、国旗や数字などを描いた作品で、絵画という存在に問いを投げかけました(国旗を描いた絵画は、国旗なのか、絵画なのか?)。ジョーンズの作品は見るだけでなく、考えることも迫り、本作においても、私たちが見ているものが、絵なのか、キャンバスなのか、混乱をもたらします。
ブリジット・ライリー《オルフェウスの歌Ⅰ》
5 色の淡い色の帯が、緩やかなカーヴとねじれを繰り返しながら描かれています。隣り合う色の組み合わせはねじれが加わるごとに変化し続け、視覚的な揺らぎを生み出しています。タイトルの「オルフェウス」は、ギリシア神話に登場する吟遊詩人の名前で、動物や草木をも魅了したというオルフェウスの美しい歌声と竪琴の調べが、作品の印象に重ねられています。作者のライリーは、錯視的な効果を用いた芸術動向である「オプ・アート」を代表する画家です。
フランク・ステラ《タラデガ》
断面が段ボールを思わせる金属で作られたパーツが重なり合い、ひとつの作品を構成しています。本作は、1980 年代より開始された「サーキット・シリーズ」のひとつで、くねくねと曲がる蛇のような形が現れるのが特徴です。シリーズ名称の通り、一連の作品にはレース場がある町の名前が付けられ、作品に含まれる形はレース場のコースを思わせますが、実際のコースを表しているわけではありません。作者は 60 年代までは色彩を限定した静かな抽象絵画を描いていましたが、70 年代以降、本作のような色彩豊かなレリーフ状の作品へと作風を大きく変化させました。
ジョージ・シーガル《戸口によりかかる娘》
ショルダーバッグを下げた女性が、戸口の前でたたずんでいます。女性像だけではなく、背景も含めてひとつの作品であり、舞台の一場面を抜き出したかのようです。シーガルは、石膏で型取りした人物像を、ベンツや信号機、扉など、実際に使用されていたものと組み合わせた作品を制作しました。シーガルの作品は当初、ポップアートとして紹介されましたが、生活する人間の姿を瞬間冷凍したかのような表現は、今では独自の彫刻表現として認識されています。
アルベルト・ジャコメッティ《裸婦立像》
台座から棒のようなものが立ち上がっています。近くで見ると、頭部や両腕、足を確認することができ、人の姿が表されていることがわかります。ジャコメッティは、キュビスムやシュルレアリスムの影響を受けた後、細長く引き伸ばされた人物像を制作しました。モデルを見つめれば見つめるほど対象の細部しか見えなくなり、全体を見るためにはモデルを後退させなくてはならないという葛藤のなかで、消え入りそうなほど小さな人物像を制作しました。
佐藤忠良《群馬の人》
モデルとなっているのは、群馬県出身の詩人、岡本喬です。佐藤は自ら岡本の頭にバリカンをかけて丸坊主にし、この作品を制作しました。作家と「群馬」とのつながりは岡本にとどまらず、中学生時代に共同生活を送り、多大な影響を受けた北大農学部助手の岩瀬久雄も群馬県出身であり、また戦中の軍隊やシベリア抑留中に出会った人々も群馬県出身者が多かったといいます。佐藤によれば、出会った群馬県出身者は、農民の出ということも共通していたようです。
舟越桂《澄みわたる距離》
楠に彫刻された着衣の男の半身像で、目には裏側から大理石が嵌め込まれています。その静謐なたたずまいは神秘的でもあります。頭部は非常に繊細に彫刻され、磨き上げられていますが、白いシャツを着た胴体部分は鑿(のみ)の跡が残るように比較的荒く彫刻され、マットな質感を残して彩色されています。木彫の人間像や、目の部分に用いられる「玉眼(ぎょくがん)」という技法は珍しいものではありませんが、題名も相まって詩的な魅力に満ちています。
本保義太郎《裸婦像》
裸婦像は彫刻作品としては一般的なものですが、女性は日本髪を結っているため、ちぐはぐな印象を受けます。作者は明治8 年に高岡の仏師の家系に生まれ、東京美術学校で彫刻を学びました。卒業後、ニューヨーク、そしてパリに渡り彫刻の研鑽を積み、パリでは公募展「サロン」で日本人彫刻家として初めて入選しました。ロダンに面会した最初期の日本人の一人であり、将来を期待されましたが、その半年後、パリで客死しています。本作からは、日本的な西洋彫刻表現への模索と困難さが感じられます。
浜田知明《情報過多的人間》
目や耳、口が異常に変異した人間像です。作者は銅版画家として著名ですが、1980 年代以降、彫刻作品の制作を始めました。本作は同タイトルの版画作品を彫刻にした作品で、作者自身、版画よりも彫刻の方がうまくいき、完成していると述べています。本作に表された情報を得る感覚器官を異常に変異させた人間の姿は、一見してコミカルですが、情報に翻弄される現代人の姿として辛辣な表現でもあります。
福島秀子《燦然たる飢餓》
真っ赤な太陽を思わせる円形が、画面上部いっぱいに描かれています。赤い円形の中は、さらに小さな円形が充満しています。大小様々な円形は、筒状のものに絵の具をつけてスタンプを押すように表されていますが、これは福島の作品に特徴的な技法です。福島は、瀧口修造が命名した前衛芸術家グループ「実験工房」の中心的なメンバーの一人として活躍しました。「実験工房」の主要メンバーの中で、女性の芸術家は 福島ただ一人です。
篠田桃紅《あえて》
銀の下地の上から、銀泥と墨で四角い形が描かれています。 四角い形をよく見ると、幅の広い刷毛のような跡が確認でき、それぞれの描き方は異なっているようです。篠田は、若くして書道家として独立し、独自の前衛的な書作品を制作しました。1956年に渡米すると、2年にわたって滞在し、制作・発表を行っています。当時は抽象表現が欧米で注目を集めており、篠田の作品も、抽象絵画との関わりの中で注目され、評価されました。
嶋田しづ《ロンド:翔たく影を大地に》
ピンクや茶色などの不定形の形が集積しています。色合いは軽やかですが、200 号の大画面は堂々たる存在感を放っています。作者の嶋田は、女子美術専門学校で美術を学びました。卒業後は数々の公募展に入選するなど、その活動は順風満帆と呼べるものでしたが、日本の狭い美術界にとどまる不安と、世界への好奇心から、1958 年に渡仏し、1978 年の帰国までパリを拠点に活動しました。嶋田はパリ滞在中、そして帰国後も大画面の絵画作品を描きました。画家にみなぎるエネルギーが、作品を通しても感じられるのではないでしょうか。
佐野ぬい《三つの青のタイム》
青を基調とする色面で構成された抽象絵画です。中央で浮遊するような三つの青い円形が特徴的な画面の中で、様々な色と形が響きあいます。作者の佐野は、女子美術大学で絵画を学び、卒業後も大学にとどまり、同大学の教授、そして学長も務めました。結婚後に大学から退職を促されたと述べていますが、定年まで勤めあげています。女性が家庭に入ることが一般的であると考えられていた時代、女性芸術家が創作活動を続けることは、社会的な偏見や無理解との戦いでもありました。
ヘレン・フランケンサーラー《カメオ》
フランケンサーラーは戦後アメリカで活躍した芸術家です。下地を塗らない生のキャンバス地に絵の具を染み込ませて 描くという革新的な技法で作品を制作し、抽象表現主義からカラーフィールド・ペインティングへの美術動向の移行に際して重要な役割を果たしました。絵画のみならず、版画にも精力的に取り組み、特に木版画に新境地を開きました。木版画では、「ガジーイング(guzzying)」という、版木の表面を加工する技法を開発し、この技法は本作にも用いられています。
ヴィエイラ・ダ・シルヴァ《エルミタージュ(青い編み紐)》
黒色と青色、縦と横の細かな線描が、織物のように交差しながら画面を埋め尽くしています。水面の複雑な揺らぎのようにも、密集した建物のようにも見えます。作者のヴィエイラ・ダ・シルヴァは、ポルトガル生まれの画家です。戦後のパリで抽象絵画を描き、「アンフォルメル(非定形)」と呼ばれた美術動向の一員としても注目を集めました。ダ・シルヴァは、都市や自然の風景を主に描いていますが、モチーフは線の集積や色彩のモザイクと化し、風景から画家独自の造形が生み出されています。